彼女がいなくなって1年と数日が経つ。
未だに彼女が不在ということに現実感がない。
私は1台の一眼レフと1台のMacを受け取った。
遺品というにはデジタルな記号に溢れるそれら。
Macの中には過去の原稿も残されたりしていて、
どうしてよいか分からない気分にとらわれる。
もういないのだなと確認するように思う。
確認でもしないことにはどうにもピンとこないのだ。
隔たって会わなくなった、まだ生きている人と彼女の間に
どれほどの差があるんだろう。
生きていればいつか会える
なんて、使いふるされた言葉はあるけれど、
「いつか」なんて、なんと頼りない言葉だろうか。
一生のうちに果たされる約束であるのか
私にはさっぱり分からない。
とすれば、そこの別れにどれほどの違いがあるのだ。
彼女の1周忌をしているはずなのに
ふと隣に座っていないとおかしいような気がしてしまう
いなくなった人は他にもいるけれどここまでまだいる
感じが拭えないのは彼女の人柄のせいだろうか
彼女は他人よりも共に積み上げた年月の分、血縁の分
やはり近くて。
答えるはずのない問いかけに、
答えが見えるような気がしてしまう。
だから、私もついいつもみたいに問いかけてしまう。
「最近どう?」