ふたたびはわたらない橋のながいながい風

相も変わらず
負け試合を意気揚々と

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背中をたたくように確認
彼女がいなくなって1年と数日が経つ。

未だに彼女が不在ということに現実感がない。

私は1台の一眼レフと1台のMacを受け取った。
遺品というにはデジタルな記号に溢れるそれら。
Macの中には過去の原稿も残されたりしていて、
どうしてよいか分からない気分にとらわれる。

もういないのだなと確認するように思う。
確認でもしないことにはどうにもピンとこないのだ。
隔たって会わなくなった、まだ生きている人と彼女の間に
どれほどの差があるんだろう。

生きていればいつか会える
なんて、使いふるされた言葉はあるけれど、
「いつか」なんて、なんと頼りない言葉だろうか。

一生のうちに果たされる約束であるのか
私にはさっぱり分からない。
とすれば、そこの別れにどれほどの違いがあるのだ。

彼女の1周忌をしているはずなのに
ふと隣に座っていないとおかしいような気がしてしまう
いなくなった人は他にもいるけれどここまでまだいる
感じが拭えないのは彼女の人柄のせいだろうか

彼女は他人よりも共に積み上げた年月の分、血縁の分
やはり近くて。
答えるはずのない問いかけに、
答えが見えるような気がしてしまう。
だから、私もついいつもみたいに問いかけてしまう。

「最近どう?」

10:27 | 無益な独言 | comments(0) | trackbacks(1)
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2007/07/14 2:13 AM
会えぬ人とはいつでも会える 会わぬ人と もう会うことはできぬ 自分が独りでいるということに変わりはないのに そこに置かれた状況はやけに厄介なもので もう会えぬということを受け入れるために 多くの痛みを積み重ね 麻痺してはじめて 会えぬ人と会うことが
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