ふたたびはわたらない橋のながいながい風

相も変わらず
負け試合を意気揚々と

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ゼロには何をかけてもゼロだしなあ

チャリティだの、救援だの、支援だの
そんな言葉を冠に付けなければ何もできない昨今で
だからといって何から何まで臆面なく
そんな冠をつけて本当に良いのだろうかともやもやする

偽善ということばがあたまの隅のほうでぼんやり点滅したり

けれども、やらないよりはやったほうがよい
ゼロよりはそうではないほうがよい

というのも尤もなので
さらにどうしたものだろうとモヤモヤするのだ

結局は、自分が自分で信じられる範囲のほんのすこしの余計なことと
やらなくてはならないことを粛々とやるしかないのだと
そう言い聞かせながら日々を過ごすのです


やはり、あさのあつこさんの朝日新聞の寄稿文は
素晴らしい文章だと思う
本当の言葉を紡ぐ人が一人でも多く存在することを祈って


以下引用

おまえはどんな言葉を今、発するのだとこれほど厳しく鋭く問われている時はないのではないか。被災地に必要なのは、今は言葉ではない。物資であり人材であり情報だ。けれど、まもなく本物の言葉が必要となってくる。半年後、1年後、10年後、どういう言葉で3月11日以降を語っているのか、 語り続けられるのか。ただの悲劇や感動話や健気な物語に貶めてはいけない。ましてや過去のものとして忘れ去ってはならない。剥き出しになったも のと対峙し、言葉を綴り続ける。3月11日に拘り続ける。それができるのかどうか。問われているのは私自身だ。

01:52 | 日々のこと | comments(0) | trackbacks(0)
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